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関学大時代に2度甲子園を経験している有馬。4年生の1999年には、エースQBとして甲子園優勝を果たし、チャックミルズ杯を受賞。卒業後、TBSアナウンサーとしての道を歩むが、2005年に退職してアメリカンフットボール界に復帰。現在アサヒビールシルバースターのQBとして現役プレーヤーとして活躍している。
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--有馬さんにとって出場するまでの甲子園はどのようなイメージでしたか。
有馬 高校(大阪府立箕面高校のアメリカンフットボール部)の頃から、甲子園ボウルは何度か見に行ってました。もちろん目標ではあるのですが、実際にここでプレーするっていうのは、ないだろうと思っていました。 もともとは阪神タイガースの野球を見に行っていた場所ですし、子供の頃から高校野球とか何度も客席には足を運んでいましたが、実際には芝生には足を踏み入れることはないだろうと思っていました。
--箕面高から関学大に入って、甲子園が身近になったのでは?
有馬 関学大で初めて甲子園に行ったのは97年。その前はもう立命と京大ばかりで、93年以降は行ってないです。94年から96年まで出場を逃してるんですよね。 僕が1年生の時は、もう完全に甲子園から遠ざかってるチームで、2度と行けないんじゃないかとも言われてました。
--それほど京都大も立命大も強かった?
有馬 強かったですね。特に立命館は強かった。僕が1年生の時(1996年)は3校同時優勝のプレーオフ。立命に負けて京大に勝って、プレーオフで立命にもう1回負けて終わりました。立命はQB東野さんが4年生、その年です。 結局3年連続で、甲子園を逃したと言うことになりまして、危機感がすごく大きかった年ですね。
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翌1997年。関学大はエースQB高橋公一を擁し、全勝で甲子園出場を決める。有馬はこの年に生まれて初めて甲子園の芝を踏むことになる。
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--1997年に優勝して初めて甲子園に立ったわけですね。
有馬 1997年の京大戦は意外とスムーズに勝てたのですけど、簡単ではなかったです。この年は立命館にも勝って久しぶりの全勝優勝。でも下馬評では立命館が一番高かったんです。 僕は控えのQBだったんですけれども、とにかく甲子園の週に行われる甲子園練習っていうのが、初めての甲子園の芝生体験だったんですね。 その日は非常に暖かくて、太陽の日差しの下で最終調整。初めて甲子園の芝を踏む人たちがほとんどだったので、はしゃぐ気持ちを隠しきれないというか、印象としては芝生の柔らかさというか、本当にこう、自分の足の裏が甲子園の芝に触れているという実感が、ホントたまらなくうれしかったですね。 こんなに柔らかくて気持ちいいのか、と。練習が終わって午後の太陽がまだ空にはあったんですけど、みんなで寝ころんで日向ぼっこしてました。
--それほど芝生の感触が気持ち良かったのですね。
有馬 リーグ戦でも 天然芝で試合することほとんどないので、それもあんなにきれいな天然芝でね。寝ころんで、感触を確かめて。特にエースQBの高橋(公一)さんは、誰もいなくなっても一人で寝ころんでましたね(笑)。エンドゾーンになる場所にお祈りに行ったりとか。「どうかこの場所にボールを持って入らせてください」って(笑)。 あと、同点に追いついた59秒の最後のパスを捕った竹部さんという選手がいたのですけども、その甲子園練習で同じようなパスをリハーサルしてたんですよ。 高橋公一さんって細かく管理をする几帳面な人だったので、そういう印象がありますね。とにかく甲子園練習の印象はかなり強いです。
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甲子園の伝説に残る関学大と法政大の名勝負。4Q残り時間59秒、法政大21、関学大15から関学大QB高橋が奇跡のキャッチアップオフェンスを演じ、最後はWR竹部へのパスでTD。観客席、ベンチ、フィールドが騒然とするの中、勝利を決めるはずのTFPキックが外れ、21-21の同点引き分けとなった試合だ。ライスボウルにはコイントスの結果、法政大が進出した。
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--59秒の同点TDを目の前でご覧になられてどうでした?
有馬 記憶の残り方としては、朝起きて思い出せない夢ってあるじゃないですか。さっきまで夢を見てたんだけど、これ以上思い出せないと。あれに似た感覚で、ここまでは覚えてるんだけども、はっきり思い出すとしたら、あの瞬間は鮮明には帰ってこない感じです。 実際ベンチの中では、高橋選手とベンチにいる小野コーチと僕と、色々相談をしたりとか、1プレー1プレー打合せをしながらやっていて、もっと覚えてるはずなんですけどね。
--その時の両ベンチの雰囲気は?
有馬 最後の同点のシリーズっていうのはたった59秒なんですけど、このTDをとったことによって、同点なのか逆転なのか、その時は誰も把握してなかったし、法政のキャプテンは、キックがはずれた時点で、1点差で法政が勝ってるのと勘違いしてガッツポーズをしてましたし、我々もTDの時点で逆転をしたのと勘違いして、どちらも普段ではあり得ないような得点計算のミスをしてました。 ほとんどの人間が勘違いをしていた。キッキングチームもなかなか出て行かなかったし、向こう(法政)は、間違えて泣いている選手とかいる。まだ終わってないのにね。 そういう、なんか、甲子園だけが事実を知っていたんじゃないかっていうような。誰も状況を把握してない状態でしたね。今から思えば、ディレーオブゲームで5ヤード下がって蹴れば良かっただけの話なのですけど、誰もそれに気づいてなかった。
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劇的な同点引き分けから2年。最終学年を迎えたQB有馬は、エースQBとして関西学生リーグを制し、2回目の甲子園出場を果たす。
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-1999年は有馬さんがエースQBで戦いました、まずはリーグ戦は?
有馬 とにかく僕がエースになる予定じゃなかった年です、ホントは。岡村幸太郎をエースとしてたてる年だったんですね。 僕よりも10センチ身長が高くて、10キロ体重が重たい、完全にオーバーサイズしてる選手で、QB岡村がベストの状態でプレーしたチームが一番強いだろうと、僕も正直に思ってたんです。 岡村がベストを尽くせる環境をつくるという気持ちで、正真正銘のバックアップに回るつもりだったんですね。僕のベストパフォーマンスと岡村のベストパフォーマンスを比べると、やっぱり岡村のベストパフォーマンスのほうが数段上であると、物理的な問題で判断してたんです。 春の最後のほうに、岡村がちょっとした怪我をした時に僕が起用されて、ゲームの中では僕のパフォーマンスのほうが彼を上回るのではないかと小野コーチが判断されて。実際に僕をエースとしてQBスターターとして使っていこうと、小野コーチが決めたのは夏です。
--そのときの気持ちの変化は?(小野コーチから言われて)
有馬 そうですね。とにかく僕自身は一旦バックアップに徹することを決めていたので、逆に、スターターをまた失うことがあってもいいや、と。一度はスターターという立場を降りようと決めたので、気分的にはすごく楽でした。 あとやはりQB以外のポジションの戦力が整っていました。同学年のラインとか、バックスがすごくいい選手が揃っていました。あと後輩の戦力っていうのが、やはりすごく充実していましたね。 4年生でいうと、センターに奥田がいまして、その選手を中心にオフェンスラインは強力でした。バックスはRB井岡、猪狩、この二人はトップレベルのパフォーマンスを持っていました。 WRは田富という選手がエースで、彼もたたき上げで実力をつけた選手なのですけど、あとTEに榊原一生、当時2年生。ディフェンスエンドの石田力哉は2年生でした。DBには3年生の福田幸蔵。 とにかくチームメイトにすごく恵まれていて、僕の心の中では、QBがあえてすごいプレーをしなくても、このチームなら勝てるという自信があったのですよ。チームのパフォーマンスをベストの状態で出せる状況だけつくっていけば、このチームは勝てるっていう自信があったので、楽でしたね。
--立命や京大とはどのような戦いでしたか?
有馬 京大戦は、ラン、パス、ライン戦も勝ちましたし、榊原も含めてパスプレーは予定通りというかたちで問題なく勝てました。 立命戦は、ものすごくキツイ試合にはなりました。ぼくは1Qに退場してるんですよね、脳震盪で。岡村がここで出てくるんですけど、結局QB岡村が投げたパスも田富へのロングパスたった1本だけ。立命vs関学という構図で見ると、パワーフットボールは立命館っていう感じだったんですが、それを押しのけることができた。うまく乗り切ったというよりは、がっちり受け止めて勝つことができたっていう実感はありました。 立命に勝とうというと、うまくかわして乗り切ろうという発想が出てくるんですけど、それではなくガッチリ受け止めてがっぷり四つの勝負になったと。そういう意味では大きな勝利でしたね。 そこで自信が結構つきましたんで、甲子園ボウルでも同じことをやろうということで、正面から法政に勝負しにいって、もちろん簡単に勝てる相手ではないのですけども。
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甲子園では前回と同じ法政大とのマッチアップ。エースQB木目田を軸に、関東を圧倒的な力で勝ち上がってきた。
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--甲子園で実際に自分でプレーしたときの印象はどうでした?
有馬 僕自身、あんまりパフォーマンスは良くなかったのですね。身体の状態が良くなかったです。 最初にインターセプトをされて、先制点は法政なのですね。インターセプトで始まって、一瞬ちょっと僕はいやな感じはしたのですけど、すぐ後に福田幸蔵がビックプレー、パントブロックして自分で持ってTDするっていうのがあって、それで救われました。 最終的には僕もTDパスを3つか4つか投げまして、スコア的には大勝となったのですけども、チームプレーっていうか、僕の印象としてはチーム全体のバランスで勝った甲子園ボウルだったなと思いますね。
--観客の様子とか空気感とか、なにか印象に残ったことはなかったですか?
有馬 お客さんの声援っていうのは、やっぱり試合中って全く耳に入らなかったのですよ。それはリーグ戦からそうで、大学1年生の時に初めて西宮で試合した時は観声が聞こえたのですけど、その後はチームのこと、試合のことを考えるのが精一杯だったので。
--ゲームに集中して耳に入ってこないような感じでしょうか?
有馬 全くそうです。ただ1つ、僕が落ち着いた瞬間があるのです。やっぱりチームのこと、ゲームのことだけに集中して、いつもより大勢のお客さんのこととか頭に入ってなかったのですが、1つだけ自分の気持ちを落ちつかせた瞬間があったのです。 第1Qに左へ逃げながらサイドラインの外に投げ捨てたパスがあるんですよ。全くただ投げ捨てただけのパスなのですけど、そのパスが僕の手から離れた瞬間にお客さんがドォーって沸いたんですね。自分としては全くパスを通すつもりもなく、次のプレーを考えながら投げたのですが、その僕の投げたボールによって何万人のお客さんがドォって沸いたんですよ。そのボールが空中にある間。それだけが聞こえたのですね。 その瞬間に、たくさんの人が自分の投げるボールを見ているんだと、と言うことがわかったんですよ。その次のプレーからめちゃくちゃ落ちつきましたね。
--普通は逆なのでは?
有馬 こうやって投げ捨てるだけでお客さんこれだけ反応してくれるのだと思ったのですよ。そしたらもうプレッシャー何にもなくなりましたね。俺はいま投げ捨てたんだぞっと、だけどこんなにお客さんはよろこんで騒いでくれると。 あ、じゃあもうちゃんと通していったらいいじゃないかパスを、って落ちつきました。ひとりじゃないって感じがしましたね。
--お客さんの声援が力になったということですね。
有馬 めちゃくちゃおちつきましたね。観客の皆さんの声が耳に入ったってこともすごくうれしかったですね。久しぶりというか、初めてでした。 あ、この何万人のお客さんと一緒にこのゲームを楽しめばいいんだと感じ取って、責任持って投げなあかんな、という気持ちになりました。 そこからですね、パスがポンポン通りました。プレーで応えようとか、そういう余裕はなかったのですけど、投げ捨てたパスでもみんな騒いで見てくれているっていうのと、観客の声が直接自分の耳に入ったっていうのが、自分の中で、自分をおちつかせる大きな要素になって、そこからは楽しかったですね、ゲームが。 それまでは硬かったっていうか、視野が狭かったかもしれませんね。ゲームを楽しんでなかった。あのパスを投げ捨てて良かったなと思いましたね。 もしあのパスを無理に投げてインターセプトとかされていたら、またお客さんの歓声も聞こえていなかったと思うのですよ。
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選ばれし者、甲子園という頂点の舞台までたどり着いた一流プレーヤーの感覚。普通なら萎縮してしまうような大声援を自らのパワーに変換できた者だけが、この舞台で最大限の力を発揮できるのだろう。
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--最後に甲子園を目指している高校生フットボーラーにメッセージを
有馬 フットボールを始めた時っていうのは、自分の身体能力とか運動神経に全く自信がなかったので、まさか自分が甲子園でプレーして、ライスボウルでプレーして、というイメージは描けてなかったんです。 でもちょっとでもチームを強くしたい、ちょっとでも上手くなりたいという気持ちで、高校時代は毎日過ごしていました。 自宅に帰ったら大学生のビデオ見て、社会人のビデオ見て、NFLの試合を見て。動きとして盗めるところ、真似出来るところはずっと見ていました。 特に京大のQB東海さんの動きとか、金岡さんの動きとか、あと学生でいうと東野さんの動きとか、NFLもずっと見ていて、ちょっとでも参考になるプレーは拾っていきました。 プレーの面では、自分が勉強したことをチームメイトに毎日のように昼休みに伝えて、これやったらもっとパスは通る、こうやって考えればランプレーは通っていく、ということを毎日のように一生懸命に話し合って、その積み重ねがいちばん大切ですね。