ayumi03甲子園ボウルとは 〜大会の歩み③〜

1980年代

1980年代は、アメリカンフットボールの人気を全国的なものにした京都大が甲子園に初めて登場する。
1982年、京都大は、これまで関西リーグでは敵なしの33大会連続甲子園ボウル出場の関学大を、リーグ最終戦で破り初優勝を遂げた。初出場した甲子園ボウルでは4連覇中の日本大に65-28と敗れるが、年間最優秀選手に授与されるチャック・ミルズ杯は敗れた京都大のエースRB松田明彦に贈られた。 1980年代の関東は、1985年の明治大を除き、日本大が出場記録を伸ばした。パルサーボウル(関東大学選手権、現クラッシュ・ボウル)に、日体大、専修大、慶応大のチームが出場したが、いずれも日本大の赤い壁の前に甲子園への道をはばまれた。 1983年、京都大はショットガン封じの守備を整え、キッキングゲームでもフィールドゴールを有効に使いゲームをコントロール。冷静なQB大社充のクォーターバッキングにより、日本大を30-14と破る。この初優勝後、京都大は甲子園ボウルの常連として名を連ねることになる。 1986年と1987年の京都大は多くのアスリートが揃い、「怪物」というニックネームがつけられたQB東海辰弥の活躍で、甲子園ボウル2連覇を果たす。前後するが1985年の甲子園ボウルは、関学大、明治大の両チームがタッチダウンの応酬となり、激しいシーソーゲームの末、明治大が逆転のフィールド・ゴールを外し、関学大が48-46で僅差の勝利をものにした。このゲームで繰り広げられた関学大、QB芝川龍平のパス、明治大、RB吉村祐二のランは、現在でもアメリカンフットボール・ファンの語り草となっている。 1980年代の終盤は日本大の3連覇で幕を閉じた。

1988年日本大は6年ぶりに甲子園ボウルで優勝。なお、1988年のQBは山田喜弘、1989年の宇田川健治、1990年は須永恭通と、タイプの異なった3人のエースQBで甲子園を制したのは、日本大がはじめてであった。 この1980年代にはその後甲子園ボウルの舞台に登場してくる、2つのチームの強化が、はじめられた。関東の法政大、関西の立命館大である。

1990年代

日本大は1990年の甲子園ボウルで京都大を34-7と下し、甲子園3連覇を果たす。しかし翌年、関東大学選手権で専修大に33-31と接戦で敗れたあと、甲子園出場から遠ざかっている。 この専修大を始めとして、1992年の法政大、1993年の日体大と、関東の代表は年毎に入れ替わった。1994年以降は2001年まで8年連続で法政大が甲子園に出場し、関東の連続甲子園出場記録で日本大と並んだ。 しかし1990年代において関東勢は、関西の壁にはばまれ、引き分けはあるものの甲子園での勝利は記録されなかった。 1990年代からの関西は、関学大、そのライバルの京都大に加え、平井英嗣監督が10年をかけて強化してきた立命館大が台頭。この3校が甲子園への出場をかけ、激しいリーグ優勝争いを演じ3強時代を形成する。 1990年、リーグ戦6位と低迷した関学大は1991年カムバックを果たし、甲子園初出場の専修大を25-20と破り、6年ぶりの勝利をものにした。
京都大は1992年のリーグ戦で、奇跡の逆転劇で優勝に導いたQB金岡禧友が甲子園でも大活躍し、法政大を下して東海以来の甲子園ボウル優勝を果たすとともに、チャック・ミルズ杯を受賞している。 1994年には、スーパー・アスリートQB東野稔を擁する立命館大が初めてのリーグ優勝を成し遂げ、甲子園でも法政大を24-22と下し、初の大学王座についた。その後も立命館大は1998年にも甲子園に出場し、このときも法政大を破っている。

2000年代

2000年は、法政大が関東のチームとして10年ぶりの甲子園勝利を果たした。以後、2010年まで7度の出場(内2度優勝)を果たし、黄金期を迎える。関西は、関学大、立命館大が拮抗した戦いを繰り返す。
2002年には早稲田大が初出場。07年には17年ぶりに甲子園ボウルに戻ってきた日本大学を永遠のライバル、関西学院大学が迎え撃ち、30年ぶりに勝利。64回大会には関西大学が62年ぶりに出場するなど、バラエティに飛んだ対戦が実現したミレニアムディケードでもあった。2007年、2008年は甲子園球場の大改修により甲子園球場での開催が困難となり、甲子園ボウル in Nagaiと名付けられ大阪の長居陸上競技場で開催されることとなった。2009年からはパナソニック電工(パナソニック)がメインスポンサーに据え、全日本大学選手権決勝戦として甲子園ボウルを位置づけ、全国8連盟のリーグ代表校に甲子園の門戸を開いた。

2010年代

2010年から外野に横にとったフィールドから内野グラウンドに芝生を入れて縦にフィールドを設置。甲子園球場の改修に伴い、内野の座席環境が向上し、より多くのファンに快適に見て頂けるようにとの配慮で以降、縦型にフィールドを設置するようになる。
2010年代は再び関学が黄金期を迎える。10年間で9回の出場。うち8回で優勝と、リーグ戦は拮抗した戦いながら甲子園の舞台は青く染まった10年となる。2010年に8年ぶりに出場を決めた早稲田はその後も15,16年、18,19年と出場を重ね、関東の上昇チームの仲間入りを果たす。日大が5回、法政が1回と目まぐるしく出場校が変わる関東は戦国時代へと突入する。2020年シーズンはコロナ禍のシーズン。開催も危ぶまれる中、東西対抗戦として実施となった。この年は不祥事で一時は2部リーグへ降格した日大が不死鳥如く復活。芝生を敷設していない土の内野フィールドの甲子園で関学と対戦。赤と青の甲子園は点数差を超越した名勝負で大いに観客席を沸かせた。2016年からは三菱電機がメインスポンサーとなり三菱電機杯毎日甲子園ボウルとして開催されている。

2020年代

2018年の73回大会から関西学院大学が5連覇を果たす。2023年の78回大会を関学が制すれば史上初の6連覇となる。

©関西アメリカンフットボール協会フットボール史研究会
参考資料: 「毎日甲子園ボウル50年史」毎日新聞社
「関西アメリカンフットボール史」関西アメリカンフットボール協会