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第61回アメリカンフットボール東西大学王座決定戦 甲子園ボウル
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第61回毎日甲子園ボウル
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過去の名勝負 インタビュー
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毎日甲子園ボウル50年史

東海辰弥。京都大QB(1984−87年)。1986、87年と甲子園ボウル2連覇。ご存じ元祖「怪物クン」。京都大が圧倒的な強さで勝ち進む姿は、関西のみならず国内のアメリカンフットボールシーンにひとつのブームを作り上げた。卒業後は、社会人クラブチームのアサヒビールシルバースターに加入。ここでも日本選手権・ライスボウル2連覇を果たす。

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 繊細にして豪快、そして大胆。日本を代表するQBとして一時代を気づいた東海辰也氏。現在は、アサヒビールの国際経営企画部チーフプロデューサーとして、世界を駆けるビジネスマンとして活躍中だ。
 その東海氏に京都大ギャングスターズ時代や、甲子園ボウルの想い出を中心にお話をお聞きした。
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−−まず東海さんがアメリカンフットボールを始めたきっかけを教えてください?

 東海 浪人している時にね、ちょうど優勝したのが京大。京大に行ってフットボールやりたいってずっと言っていたやつが同じ寮にいたのですよ。僕は初めてフットボールっていう存在をその時に知った。また京大が優勝したってことで、京都全体がものすごく沸いていたわけです。
 僕はアメリカンフットボールを知らなかった。でも一応そういう知識はあって、入学後にフットボール部から勧誘されたとき、じゃあやってみようか、と。

−−最初からQBではなかったですよね。

 東海 ずっと叫んでいた。QBやらしてくれって。だって黙っていたらラインなるのだもん(笑)。
 当時の京大は、1年生は練習前に毎日自己紹介するのです。覚えてもらうために。当時の京大は、1年生は練習に何日間に1回だけ来てもいい、というシステムだったので、練習に来る1年生が日替わりで変わったのですよ。どうしても覚えられないからってことで、1年生はとりあえず練習前に自己紹介しろって(笑)。その時に僕は最後にQBやらしてください!と、1ヶ月間叫び続けました(爆)。

−−どこのポジションから始めたのですか?

 東海 大学入ってすぐのポジションはDL。もちろんそうですよね、こんな身体やったから。で、その次にOLやってみろって(笑)。キッキングゲームのブロッカーもやったしね。その時でもQBやらせてくれ、QBやらせてくれって、ずっと水野さん(京都大監督)に言っていたのだけど、やらせてくれない訳よね。とりあえずボールは投げさせてくれるけどね、やめさせないようにね。(爆)
 その後、ボール持つポジションやらせてみようかってことになって、TEをやった。どんどんラインのほうからバックスのほうに近づいてきたと(笑)。
 そのうち今度はRBをやれといわれて、でかいし、ブロック力も一応ラインで鍛えている。脚もそこそこ早かったから、RBずっとやることになって練習していたところで、ちょうど偶然に、僕の上の人がみんな怪我をして、QBがいなくなっちゃったわけ。
 練習試合のスケジュールが決まっていて、1年生から急遽作れという話になって、その時に3人候補がいて、3人の中に入ったのですよ。あいつはいつも言っていたからやらせろと(笑)。
 これがまた運良く一人やめちゃったの。あともう一人はまた怪我をしそうになっちゃって、しょうがないから俺に出てみろって(笑)。そこからですよ、QBというポジションのスタートは。

* * * * *
 これには後日談がある。実は当時の京都大・水野監督は、周囲の関係者に「ものすごくいい選手が入ってきた、日本一が狙える」と話していた。その素材をいかに育てるか。周囲から様々な助言もあり、最初は人と当たるポジションを経験させた。基礎的な体力作りに取り組んだと云うわけだ。
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−−それでようやくQBにたどり着いたと。

東海 本当にそうですわ。その時に4年生が僕の教育担当ついて、この人がまたうまいこと煽ててくれる。ちょっとボール投げただけで「これはすごい!さすが野球出身者だ」とか言って、褒めまくられた。人生でこんな褒められたことないなというぐらい(笑)。
当時は優勝したメンバーが抜けて、ものすごくチームが弱かったのですよ。22のポジションのうち11を1年生がやらざるを得ない、そういう状態だったのです。
で。気がついたら関学に負けて、甲子園ボウルには関学が出場。当時の日大のQBは松岡(秀樹)さんというもの凄いQBがいて、その日大と関学の試合を1年生の時にはじめて甲子園で見たのですね。
関学に負けたのも当然あるけども、甲子園ボウルがまた印象的なのですよ。あの時、僕の代でQB野村(康平)っていたでしょう?オプションQBで、彼もはまだ1年生なのに甲子園ボウルで大活躍した。

−−その1年生の時に見たのが初めての甲子園ボウルですか?

東海 その甲子園です。大活躍した一年生QBの野村、WRの堀古とか、その連中が甲子園で大活躍してね。やっぱりいまだに焼きついてるのです。要するに関西で優勝すると、こんな面白いことになる、というのが甲子園ボウルの最初の印象ですね。

−−関学と日大が同点優勝した年ですよね。(第39大会/関学42、日大42)

東海 またもの凄いゲームだったのですよ。最後の残り4秒で関学が投げたパスを日大のDBがインターセプトし損なって、宙に浮いたやつをWR管野さんが確か捕ったのですよね。しかしまだ2点差、関学は執念の2点コンバージョンを、またこの野村のランで決めて同点、引き分け。

−−相当印象残ったのですね。

東海 自分と同じ歳の人間が甲子園で大活躍していたのを今でも覚えている。
絶対ここに来たいと思った。本気で。こんなことになるのか、と。こんなことやるのかと、ホントに羨ましかった。

−−その次の年も、甲子園ボウルは関学でしたよね。

東海 その次の年は、関学のQB芝川さんと明治大のRB吉村さんがやりまくった年。(第40回大会/関学48、明治46)
これもね、僕は甲子園で見ていてね。これは、はっきり言って関学応援した!(笑)というか、やっぱり、その関学に来年こそは勝ちたかったら。
また堀古が、すごいスーパーキャッチをした。芝川さんがロールアウトして、堀古くんがエンドゾーンの端っこに走って、パシッと、もの凄いプレーだったね。いまでも覚えている。
だから僕が、1年と2年で見た甲子園ボウルが面白過ぎなのです。点を取りまくっているし、観客が大いに沸いている、そういう印象がやっぱりすごいです。

−−3年の時に甲子園ボウル初出場をして、最初に甲子園に立たれたときの達成感とかはどうでしたか?

東海 僕は甲子園に高校野球時代からの思いが詰まっていましたね。だからもう、高校の時からの思いをここでとげた。もうひとつ、外野の芝に踏み入れた時に絨毯みたいでね。やっぱり思い出が残っています。甲子園練習の時、初めて芝を踏んで、「関学の奴らは、こんなエエところで試合しとったのか!」と(爆)。

−−初試合は緊張をしましたか?

東海 緊張した記憶がないのです。だから最初のTDって、その場で作ったプレー。

−−練習をしていないプレー?

東海 そのぐらい出来たっていうことですよ。準備したプレーじゃなくって、練習で全くやってないプレーを自分でコールしちゃった。

−−それはハドルで?

東海 そう。西田(RB)さんちょっとモーションで左に寄ってくれよって、ナンバリングも何にもない状態で、足で地面に書いてプレーコール(笑)。

−−まるでフラッグフットボールのノリですね。

東海 そう、緊張していたらできない。そんなプレーコールが出来ているってこと自体が全然違う。関学戦の時なんて、準備したやつだけしかできなかった(笑)。

−−東海さんってお客さんの歓声とか聞こえるひとでしたか?

東海 まったく聞こえないです。負けた時はもちろん聞こえてないし(笑)、勝っている時も聞こえてない。リーグ戦の途中で結構余裕のある試合だけですね。

−−そういうものなのですか?

東海 特に関学との試合はそうでしたね。甲子園ボウルももちろんそうですけど、ビッグゲームになればなるほど集中しちゃうので、やっぱり耳に入ってこないですね。
甲子園でグラウンドに入ったとき、もうお客さんがすごい数で、こりゃすごいな、っていう風に一瞬思いましたけど、ハドルを組んだ瞬間に、もうすっかりお客さんは飛んじゃって。

−−3年生の時は初出場で日大に完勝していますね。(第41回大会/京大49、日大28)

東海 あの時もね、甲子園ボウルで僕のパスっていうのが初めて開いたのですよ。リーグ戦の時は、パスがもうひとつだったのですね。どちらかっていうと関学戦も、ランでつぶしたのですよ。関学戦では、きっちりとしたパスっていうのはあんまり決まってなくて。
それで、甲子園でのパスをちょっと早めのタイミングで投げたら、ロングゲインになったという。意図したとおりにやったのですが、そういうイメージしたものがパスできっちり決まったっていう最初の出来事が甲子園ボウルなのです。

−−それは何か感覚みたいなものを掴んだと云うことでしょうか?

東海 あの時はじめてね、パスというのは、実は見たらあかんなってのが初めてわかった。その時も投げた瞬間にサックを食らっとるのですよ。そんな状態でも、レシーバーを見ているのじゃなくて、ディフェンスを見て、開いたスポットにスパッと投げている。ピンポイントに決めるっていうのは、あのときに初体験したのですよ。
堀古(関学WR)に言わせると、僕は3年からパスが上手くなったって言っていましたけど、自分自身の感覚としては、あの甲子園ボウルがやっぱり最初ですね。

−−どうして甲子園ボウルで出来たのですかね?

東海 わからない。わからないですね。今でも。

−−東海さんが3年生、4年生の時は、甲子園ボウルの一つのピークなのですね。そういう意味では日本のアメリカンフットボールが「関・京」という熾烈なライバル争いに、人気の絶頂を迎えた時代だった。

東海 また関東も日大だったしね、カードとしては非常に面白かったのですね。日大ショットガン対京大オプションだから、見ていても対照的でわかりやすい。

−−そのころについたニックネームが「怪物くん」。

東海 その「怪物くん」は意外に繊細でね、腹をよくこわしていましたよ。特に関学戦前は(笑)。最初の甲子園の時は絶好調で出ていたけど、さすがに4年の時はプレッシャーがありましたね。2年連続優勝だと、ずっと言われていたから。
だから4年の時の甲子園ボウルは立ち上がり良くないよね。ハンドオフミスでファンブルしてリカバーされたり、第1Qの途中でも非常に緊張している自分があった。

−−今日は勝たなければいけない、と。

東海 やっぱり余計なこと考えるとだめです。もっとリラックスしてやればいいのですけどね。
あ、そうだ。さっき試合中に観客の声は聞こえないといいましたが、1つ印象的なのが、ファーストダウンとっただけなのに、TDみたいな応援になっちゃった。なんだこれは、という瞬間がありましたね。

−−その瞬間だけ耳に入った。

東海 そう。ファーストダウンとっただけなのにものすごい歓声になった、というのがありますね。あれはものすごく背中を押してくれる。

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そこで力づけられる選手とそうでない選手。そこで声援を力にするか、逆に萎縮するのか。これは一流アスリートとして一つの分岐点でだろう。東海選手は紛れもない一流スポーツエンターテイナーとしての才能を生まれながらにして身につけていた。
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東海 甲子園の思い出のもうひとつはね、やっぱり日大のスピードが思ったより速かったことですね。関西はどちらかというとシステムでやっているし、意外に自分の持ち分を離れないで役割分担がきっちりと決まっている。それをやりきるから全体のシステム読み切ってしまえば、そう怖いことない。
でも当時の日大というのは、動物的にやっていたからね、これ予想つかないのですわ。甲子園だと、芝がいいから動きがまた速いんだ。ちょっと関西のフットボールに比べて違和感があるな、という記憶がありますね。

−−それにはどのような対策を?

東海 オプションやっていて、うちのオフェンスラインが止め切れてないのが見えちゃうのですよ。ちょっと恐怖感が出てね。それでトリプルオプション急遽中止。要するに、こっちのスピードより向こうが上回っているからトリプルオプション出来ない。決めでQBを走らせるか、ピッチするかに急遽変更です。多少は想定をしていたので助かりましたが、僕は甲子園ボウルでトリプルオプションをやってないのですよ。実は(笑)。QBキープかピッチ、後はリードオプションだけ。
ところが、多少振り回せば疲れるだろうと思ったのだけど、日大の選手達は半端じゃなかったね。全然疲れないのだな、これが。

−−甲子園で勝った瞬間ってどうでした?

東海 甲子園で勝った瞬間というのはすごく爽やかなのですよ。もう1試合出来るという思いがあって、甲子園ボウルが終わった瞬間は、「よっしゃ!もうひとついこか!」って感じでしたね。

−−東海さんの考えるアメリカンフットボールの魅力って何でしょうね。

東海 根本的に格闘技のおもしろさがあるっていうことですね。実際のブロックやタックルは、やっぱり喧嘩ですから、人間の本能っていうか動物の本能レベルの快感だと思うのですね。これは、動物的なセンスとか、あとは持って生まれた能力によるもの。これで戦えるというのが1つのおもしろさ。
もう一つは、やっぱり戦略のスポーツだっていう面。特にQBやっていて一番面白かったのは自分が描いたとおりの戦略を、実際のフィールドで実行してやりきるというところ。やりきれる時は、すべてが組織の動きなのですね。個人の動きじゃない。格闘技という個人の動きを結集したのが組織のプレーで、両方が楽しめる。
僕はQBをやっていて、個人の部分も楽しかったし、組織の部分も非常に楽しかった。もちろんいま思えばですよ。やっている時にはそんなことはあんまり思ったことなかったですけど、だからいまは選手じゃなくてヘッドコーチをやりたい(笑)。

−−甲子園ボウル観戦のポイントをお聞かせ願えますか?

東海 パスが通った時の甲子園のあの雰囲気。ものすごく盛り上がるのね。甲子園に行って、初めて見る人でも充分に楽しめる。TDパスなんかが通ったときにはもの凄い歓声ですよね。子供達が見ていて、たぶん感動するだろうし、自分もやってみたいな、と思うシーンだと思う。
関京戦の場合はどちらかというと、すごくマニアックな世界で盛り上がるけど(笑)、甲子園は、もうそれこそ観客が思いっきり盛り上がってくれるから。

−−最後にこれからの若者達にメッセージをお願いします。

東海 実は大学スポーツって、世間的にはあまり注目されるものでもないのですよ、意外に。六大学野球も最近は駄目でしょ、実はラグビーもこのところ低調だと。その中で関西のアメフット、特に甲子園ボウルは、いまでもとんでもなく注目されているわけですよね。
競技人口そのものは少ないとはいえ、こんなチャンスはめったにない。こういう場があって、いまの子供達にも行けるチャンスがあるのですよ。是非トライしてもらいたいものですね。自己表現の場なのですよ、甲子園ボウルというのは。
あのフィールドに立って、観客が何万人もいて、自分のファミリーも含めてみんなが見ていて、テレビ中継になれば自分の知らない人までも見ているという場は、学生にとってめったにないですよね。
そんな所に行けちゃうとなったら、子供達に是非行って欲しい。或いは、いまやっている中学生や高校生のみんなにチャンスがあるわけだから、是非それはやって欲しいな、と。僕自身がそうですよ、非常にラッキーだったな、と。

−−まずは子供達には、ぜひ試合を見に来てもらいたいですよね。

東海 そうそう。子供の時に甲子園に行ってゲーム見るっていうのは、最高の体験ですよ。僕はそこに話を持って行きたかった(笑)。

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